命は誰のものか 増補改訂版
1320円 (税込) ※1
ページ数:408ページ
発売日:2021/4/23
ISBN:978-4-7993-2729-6
Product description 商品説明
あなたならどうする?
・パンデミックでは患者に優先順位をつけていいと思いますか?
・出生前に障がいがあるとわかったら、その子を産みますか?
・治る見込みがないのに、生かし続けられることを選びますか?
初版刊行の2009年から12年が経過し、その間に生命倫理の視点から考えるべきさまざまな新しい問題が生じた。まさに現在わたしたちが直面している「コロナ・トリアージ」、ゲノム編集、優生思想、出生前診断、安楽死、脳死臓器移植等々について大幅に増補したほか、初版記載のデータも全面的に更新した。現在、生命倫理の最も充実した入門書となっている。
「はじめに」から
現在、人間の生命をめぐって、どのような問題が生まれ、どのような議論があり、なにが問われているのか。問題は、さまざまな価値の大本にあるわたしたちの命にかかわっている。そこには、現在の社会が直面している課題が典型的に示されている。
とりあげるのは、一四の問いである。それが、目次に示したように、各章のタイトルになっている。
まず第一章では、医療資源の配分論と呼ばれる問題をとりあげ、生命倫理の問いの基本的な特徴を考えてみる。第二章では、その関連で、「コロナ・トリアージ」の問題を取り上げる。
続く第三章から第七章までは、人間の誕生、生命の始まりの場面を扱っている。中心となるのは、障がいや検査技術(第三章・第四章)、「強制不妊救済法」と優生思想(第五章)、不妊治療として急速な発達を見せてきた生殖技術(第六章・第七章)をめぐる問題である。
後半は、生命の終わり、人間の死に場面を移し、治療停止や安楽死の問題(第八章・第九章)から始めて、「人生会議」と呼ばれる日本版ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の問題(第一〇章)を経て、二〇〇九年に法律が改正された脳死臓器移植に関するさまざまな問題をとりあげる(第一一章・第一二章)。
終わりの二章(第一三章と第一四章)では、脳死臓器移植やゲノム編集技術をめぐる問題を受けながら、いわば全体のまとめとして、生命倫理と呼ばれる議論がどのようなものであったのか、また、なにを問うべきなのかを考えることにしたい。
正誤表
本文に誤りがありましたので、下記の通り訂正するとともにお詫び申し上げます。
4ページ8-9行目
誤)ソフォクレス
正)プロタゴラス
・パンデミックでは患者に優先順位をつけていいと思いますか?
・出生前に障がいがあるとわかったら、その子を産みますか?
・治る見込みがないのに、生かし続けられることを選びますか?
初版刊行の2009年から12年が経過し、その間に生命倫理の視点から考えるべきさまざまな新しい問題が生じた。まさに現在わたしたちが直面している「コロナ・トリアージ」、ゲノム編集、優生思想、出生前診断、安楽死、脳死臓器移植等々について大幅に増補したほか、初版記載のデータも全面的に更新した。現在、生命倫理の最も充実した入門書となっている。
「はじめに」から
現在、人間の生命をめぐって、どのような問題が生まれ、どのような議論があり、なにが問われているのか。問題は、さまざまな価値の大本にあるわたしたちの命にかかわっている。そこには、現在の社会が直面している課題が典型的に示されている。
とりあげるのは、一四の問いである。それが、目次に示したように、各章のタイトルになっている。
まず第一章では、医療資源の配分論と呼ばれる問題をとりあげ、生命倫理の問いの基本的な特徴を考えてみる。第二章では、その関連で、「コロナ・トリアージ」の問題を取り上げる。
続く第三章から第七章までは、人間の誕生、生命の始まりの場面を扱っている。中心となるのは、障がいや検査技術(第三章・第四章)、「強制不妊救済法」と優生思想(第五章)、不妊治療として急速な発達を見せてきた生殖技術(第六章・第七章)をめぐる問題である。
後半は、生命の終わり、人間の死に場面を移し、治療停止や安楽死の問題(第八章・第九章)から始めて、「人生会議」と呼ばれる日本版ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の問題(第一〇章)を経て、二〇〇九年に法律が改正された脳死臓器移植に関するさまざまな問題をとりあげる(第一一章・第一二章)。
終わりの二章(第一三章と第一四章)では、脳死臓器移植やゲノム編集技術をめぐる問題を受けながら、いわば全体のまとめとして、生命倫理と呼ばれる議論がどのようなものであったのか、また、なにを問うべきなのかを考えることにしたい。
正誤表
本文に誤りがありましたので、下記の通り訂正するとともにお詫び申し上げます。
4ページ8-9行目
誤)ソフォクレス
正)プロタゴラス
Index 目次
第一章
あなたは、薬や医療設備が足りないとき、治療する人を選んでもいいと思いますか?
あなたなら、誰を選びますか?───生命倫理、最初の問題
問題の始まり
「彼らは、誰が生き、誰が死ぬのかを決定する」
誰を治療するか
「神様委員会」
誰かを選ぶのは、医師だけの問題ではなくなった
生かすべきは、子どもが二人いる殺し屋か、独身のバイオリニストか?
生命倫理、あてどない旅
第二章
あなたは、パンデミックの状況では
患者に優先順位をつけてもやむを得ないと思いますか?───COVID-19トリアージの問題
パンデミックの到来
イタリアの美談
災害トリアージ
コロナウイルス・トリアージ
COVID-19トリアージ「提言」
「酷な話」と「本人の意思」
パンデミックに対しては何を考えるべきなのか
第三章
あなたは、生まれてきた子に重い障がいがあったとしたら、治療に同意しますか?
そのまま死なせますか?───障がい新生児の治療停止
ジョンズ・ホプキンス・ケース
ダウン症とは
誰が生き残るべきか
障がいがあれば、死なせることは許されるのか?
「精神遅滞があるからといって、生命の価値が損なわれるわけではない」
新生児医療が発達したがゆえに、選択を迫られる
日本ではどうなのか─『生命かがやく日のために』
治療停止を望む親が訴えられる─「ベビー・ドゥ事件」と「ベビー・ジェーン・ドゥ事件」
予想外の結末─ベビー・ジェーン・ドゥのその後
第四章
あなたは、生まれてくる子どもに障がいがあるとわかったとき、
その子を産みますか?───「不幸な子どもを生まない運動」と「間違った命」訴訟
出生前診断の登場
選択的中絶は認められるか?
「不幸な子どもを生まない運動」
障がい者の事前抹殺?
国家遺伝病法と出生前診断
「間違った出生」訴訟
「間違った命」訴訟
検査技術はさらに進歩を続けている
第五章
あなたは、悪質な遺伝子があるとしたら、
それを断つべきだと思いますか?───NIPT・強制不妊救済法・相模原事件・優生思想
「新型出生前診断」、NIPTの登場
NIPTの自由化?
強制不妊救済法と「我々」
優生思想の展開
旧優生保護法と優生思想
第六章
あなたは、代理出産を依頼しようと思いますか?───生殖技術の展開と自然主義VS契約主義
おばあさんが孫を産む
一人の子どもに五人の親
子どもの国籍が決まらない
「自然主義」VS「契約主義」
出産は自然の枠を超えた
「あたりまえ」の崩壊
最高裁の判断と「注文」
不妊と代理出産
ベビーM事件
代理出産反対の立場「家族関係の崩壊と妊娠・出産の商品化を招く」
代理出産賛成の立場
「不妊治療の一環。代理母もだまされているわけではない」
ウクライナの代理母
子宮移植
第七章
あなたは、自分の子ども同士の臓器移植を決めることができますか?───自己決定と子どもの権利
「自己決定」を支える会
自己決定という論理
古典的な自由主義と自己決定
「自己決定」ですべてが解決するのか?
自分のルーツを知る権利
誰が当事者なのか
親は子どものことを決めていいのか?
自己決定を支えるもの
第八章
あなたは、治る見込みはないのに、生かし続けられることを望みますか?
───カリフォルニア自然死法とクインラン事件
誕生の場面から死の場面へ
カリフォルニア州自然死法
「死ぬ権利」を求めた裁判
家族だからといって、死なせることは許されるのか?
本人が自分の死を決められないなら、他人が決めるしかない?
現代医療のモンスター
死ぬ権利とモンスター、フレッチャーの場合
カレンのその後
法制化のメカニズム
第九章
あなたは、家族が治る見込みがないとき、
人工呼吸器を取り外すことに同意しますか?───射水市民病院事件と尊厳死運動
安楽死をめぐる日本での議論
射水市民病院事件
外科部長への批判から同情へ
日本尊厳死協会の活動
尊厳死という言葉
尊厳死法制化の動き
厚生労働省の治療停止ガイドライン
救急医学会の提言
書類送検と不起訴
残る疑問
第一〇章
あなたは、「人生の最終段階」について何を語りますか?───日本版ACP「人生会議」
社会保障制度改革、「終末期」から「人生の最終段階」へ
「人生の最終段階」をめぐるガイドライン
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)と「病院完結型」から「地域完結型」への医療転換
ACP、愛称「人生会議」
「人生会議」は何を話し合うのか?
公立福生病院透析中止事件
終末期ではない場合の透析見合わせ
宗教的理由による輸血拒否と透析拒否
「人生会議」が開くもの
第一一章
あなたは、「脳死」は人の死だと思いますか?───「遅れた日本」と臓器移植法成立の意味
脳死をめぐる日本での議論
「臓器移植」と「脳死」が結びつけられるまで
どの時点を死とするのか?
見えない死としての脳死
日本は遅れているのか?
「臓器移植のために、脳死は無理矢理に死とされた」
正直さをスキップするシステム
慣れとしての人体の資源化
第一二章
あなたは、臓器を提供しますか?───臓器不足をめぐる問題
「臓器の移植に関する法律」
死の自己決定
「本人の意思がなければ」への異論
海外渡航移植の実態
臓器移植を増やすための方策
生きている人からの臓器提供
生体肝移植ドナーの死
生体肝移植の現実
ドミノ肝移植
臓器移植法違反事件
病気腎移植問題
第一三章
あなたの命は誰のものですか?───医療技術の進歩と人間の生命
臓器移植法改正以降の臓器移植
提供臓器は常に不足する
同意を求める「オプトイン」方式か、
拒否する意思表示がなければ自動的に同意と見なす「オプトアウト」方式か
オプトアウト方式のフランスでも臓器は不足している
なぜ臓器は不足するのか
「善きサマリア人」のたとえ
「最低限の常識的なサマリア主義」を超える要求はできない
拡張される善意
親ならどうして子どもの臓器提供を許可できるのか?
驚きと慣れの問題
あきらめない社会
問いは開かれている
第一四章
あなたは将来、どのような世界を望みますか?───科学技術が見せる世界とわたしたち
パリの舗道での戦い
フランス生命倫理法改正と生命倫理三部会
「われわれはいかなる世界を望むのか」
ゲノム編集技術
生物の品種改良の新展開
遺伝子治療の展開とゲノム編集技術
ヒト生殖系列細胞のゲノム編集
二〇一五年、第一回ヒトゲノム編集国際サミット
ゲノム編集ベビーの誕生とその背景
「ドアは完全には閉じられていない」、日本におけるヒトゲノム編集
ミトコンドリア置換、遺伝的親が三人いる子ども?
ヒトの臓器をもつブタ、臓器移植用キメラ動物
「脇によけて道を空けろ」
倫理的分析の必要性
民主主義的検討に向けて
あなたは、薬や医療設備が足りないとき、治療する人を選んでもいいと思いますか?
あなたなら、誰を選びますか?───生命倫理、最初の問題
問題の始まり
「彼らは、誰が生き、誰が死ぬのかを決定する」
誰を治療するか
「神様委員会」
誰かを選ぶのは、医師だけの問題ではなくなった
生かすべきは、子どもが二人いる殺し屋か、独身のバイオリニストか?
生命倫理、あてどない旅
第二章
あなたは、パンデミックの状況では
患者に優先順位をつけてもやむを得ないと思いますか?───COVID-19トリアージの問題
パンデミックの到来
イタリアの美談
災害トリアージ
コロナウイルス・トリアージ
COVID-19トリアージ「提言」
「酷な話」と「本人の意思」
パンデミックに対しては何を考えるべきなのか
第三章
あなたは、生まれてきた子に重い障がいがあったとしたら、治療に同意しますか?
そのまま死なせますか?───障がい新生児の治療停止
ジョンズ・ホプキンス・ケース
ダウン症とは
誰が生き残るべきか
障がいがあれば、死なせることは許されるのか?
「精神遅滞があるからといって、生命の価値が損なわれるわけではない」
新生児医療が発達したがゆえに、選択を迫られる
日本ではどうなのか─『生命かがやく日のために』
治療停止を望む親が訴えられる─「ベビー・ドゥ事件」と「ベビー・ジェーン・ドゥ事件」
予想外の結末─ベビー・ジェーン・ドゥのその後
第四章
あなたは、生まれてくる子どもに障がいがあるとわかったとき、
その子を産みますか?───「不幸な子どもを生まない運動」と「間違った命」訴訟
出生前診断の登場
選択的中絶は認められるか?
「不幸な子どもを生まない運動」
障がい者の事前抹殺?
国家遺伝病法と出生前診断
「間違った出生」訴訟
「間違った命」訴訟
検査技術はさらに進歩を続けている
第五章
あなたは、悪質な遺伝子があるとしたら、
それを断つべきだと思いますか?───NIPT・強制不妊救済法・相模原事件・優生思想
「新型出生前診断」、NIPTの登場
NIPTの自由化?
強制不妊救済法と「我々」
優生思想の展開
旧優生保護法と優生思想
第六章
あなたは、代理出産を依頼しようと思いますか?───生殖技術の展開と自然主義VS契約主義
おばあさんが孫を産む
一人の子どもに五人の親
子どもの国籍が決まらない
「自然主義」VS「契約主義」
出産は自然の枠を超えた
「あたりまえ」の崩壊
最高裁の判断と「注文」
不妊と代理出産
ベビーM事件
代理出産反対の立場「家族関係の崩壊と妊娠・出産の商品化を招く」
代理出産賛成の立場
「不妊治療の一環。代理母もだまされているわけではない」
ウクライナの代理母
子宮移植
第七章
あなたは、自分の子ども同士の臓器移植を決めることができますか?───自己決定と子どもの権利
「自己決定」を支える会
自己決定という論理
古典的な自由主義と自己決定
「自己決定」ですべてが解決するのか?
自分のルーツを知る権利
誰が当事者なのか
親は子どものことを決めていいのか?
自己決定を支えるもの
第八章
あなたは、治る見込みはないのに、生かし続けられることを望みますか?
───カリフォルニア自然死法とクインラン事件
誕生の場面から死の場面へ
カリフォルニア州自然死法
「死ぬ権利」を求めた裁判
家族だからといって、死なせることは許されるのか?
本人が自分の死を決められないなら、他人が決めるしかない?
現代医療のモンスター
死ぬ権利とモンスター、フレッチャーの場合
カレンのその後
法制化のメカニズム
第九章
あなたは、家族が治る見込みがないとき、
人工呼吸器を取り外すことに同意しますか?───射水市民病院事件と尊厳死運動
安楽死をめぐる日本での議論
射水市民病院事件
外科部長への批判から同情へ
日本尊厳死協会の活動
尊厳死という言葉
尊厳死法制化の動き
厚生労働省の治療停止ガイドライン
救急医学会の提言
書類送検と不起訴
残る疑問
第一〇章
あなたは、「人生の最終段階」について何を語りますか?───日本版ACP「人生会議」
社会保障制度改革、「終末期」から「人生の最終段階」へ
「人生の最終段階」をめぐるガイドライン
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)と「病院完結型」から「地域完結型」への医療転換
ACP、愛称「人生会議」
「人生会議」は何を話し合うのか?
公立福生病院透析中止事件
終末期ではない場合の透析見合わせ
宗教的理由による輸血拒否と透析拒否
「人生会議」が開くもの
第一一章
あなたは、「脳死」は人の死だと思いますか?───「遅れた日本」と臓器移植法成立の意味
脳死をめぐる日本での議論
「臓器移植」と「脳死」が結びつけられるまで
どの時点を死とするのか?
見えない死としての脳死
日本は遅れているのか?
「臓器移植のために、脳死は無理矢理に死とされた」
正直さをスキップするシステム
慣れとしての人体の資源化
第一二章
あなたは、臓器を提供しますか?───臓器不足をめぐる問題
「臓器の移植に関する法律」
死の自己決定
「本人の意思がなければ」への異論
海外渡航移植の実態
臓器移植を増やすための方策
生きている人からの臓器提供
生体肝移植ドナーの死
生体肝移植の現実
ドミノ肝移植
臓器移植法違反事件
病気腎移植問題
第一三章
あなたの命は誰のものですか?───医療技術の進歩と人間の生命
臓器移植法改正以降の臓器移植
提供臓器は常に不足する
同意を求める「オプトイン」方式か、
拒否する意思表示がなければ自動的に同意と見なす「オプトアウト」方式か
オプトアウト方式のフランスでも臓器は不足している
なぜ臓器は不足するのか
「善きサマリア人」のたとえ
「最低限の常識的なサマリア主義」を超える要求はできない
拡張される善意
親ならどうして子どもの臓器提供を許可できるのか?
驚きと慣れの問題
あきらめない社会
問いは開かれている
第一四章
あなたは将来、どのような世界を望みますか?───科学技術が見せる世界とわたしたち
パリの舗道での戦い
フランス生命倫理法改正と生命倫理三部会
「われわれはいかなる世界を望むのか」
ゲノム編集技術
生物の品種改良の新展開
遺伝子治療の展開とゲノム編集技術
ヒト生殖系列細胞のゲノム編集
二〇一五年、第一回ヒトゲノム編集国際サミット
ゲノム編集ベビーの誕生とその背景
「ドアは完全には閉じられていない」、日本におけるヒトゲノム編集
ミトコンドリア置換、遺伝的親が三人いる子ども?
ヒトの臓器をもつブタ、臓器移植用キメラ動物
「脇によけて道を空けろ」
倫理的分析の必要性
民主主義的検討に向けて
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