青森市生まれ。ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学ぶ。哲学と宗教に関する解説書の明快さには定評がある。
主な著書にミリオンセラーとなった『超訳ニーチェの言葉』のほか、『頭がよくなる思考術』『独学術』『完全版 仏教「超」入門』(以上ディスカヴァー刊)、『この世に「宗教」は存在しない』(ベスト新書)、『「考える力」トレーニング:頭の中の整理法からアイデアの作り方』(知的生きかた文庫)がある。
仏道に学ぶ心の修め方
1650円 (税込) ※1
ページ数:144ページ
発売日:2017/5/26
ISBN:978-4-7993-2105-8
Product description 商品説明
本書は日常生活の中でブッダの智慧を実践し、悟りに至ることを目的としている。
誰でも、悟ることが可能なのだ。
悟りはずっと誤解されてきた。その大きな誤解には二種類ある。
一つ目の誤解は、悟りを得れば神通力、すなわち特別な超能力のようなものが備わるというもの。
この誤解は、ブッダという尊称で呼ばれたゴータマ・シッダールタの用いた比喩や形容の表現を、ついに悟りを経験しなかった弟子たちがそのまま事実としてとらえ、その解釈がさらに拡大したことから生まれた。
もう一つの誤解は、実際に悟るのは凡人にとってはなはだ困難だというものだ。
しかし、悟りがそれほど困難なものであるならば、ゴータマ・シッダールタの説いた仏法は最初から多くの人にとって縁遠いものであろう。ゴータマ自身、これは誰にでもできる簡単な方法だと述べたにもかかわらずである。
解脱、悟り、涅槃、これらの言葉は人がある清々しい状態になったときの表現の一つにすぎない。
それらの言葉の内実は、想像や思惑や怖れをまじえずに物事をありのままに見るようになったということだ。そういう態度で生きるのが悟りの境地である。ただそれだけのことにすぎない。境地とはいうものの、超然とした場所に立つことではない。
だから、修行によって悟ることなく、また仏教をまったく知らずとも、悟りの境地で生きている人も当然いるわけである。その態度は、物心がつかない幼児と同じである。
悟りが仏教だけのものであるのならば、普遍的なものではない。普遍的でないならば、人間にとって真実ではない。
悟りはいつの日にか目指すべき遠い究極にあるものではなく、あくまでも出発点である。
そこから善の実現に向かって生きるのが本道である。だから、ゴータマ・シッダールタは善く生きること、人間倫理を重ねて説いたのだった。
誰でも、悟ることが可能なのだ。
悟りはずっと誤解されてきた。その大きな誤解には二種類ある。
一つ目の誤解は、悟りを得れば神通力、すなわち特別な超能力のようなものが備わるというもの。
この誤解は、ブッダという尊称で呼ばれたゴータマ・シッダールタの用いた比喩や形容の表現を、ついに悟りを経験しなかった弟子たちがそのまま事実としてとらえ、その解釈がさらに拡大したことから生まれた。
もう一つの誤解は、実際に悟るのは凡人にとってはなはだ困難だというものだ。
しかし、悟りがそれほど困難なものであるならば、ゴータマ・シッダールタの説いた仏法は最初から多くの人にとって縁遠いものであろう。ゴータマ自身、これは誰にでもできる簡単な方法だと述べたにもかかわらずである。
解脱、悟り、涅槃、これらの言葉は人がある清々しい状態になったときの表現の一つにすぎない。
それらの言葉の内実は、想像や思惑や怖れをまじえずに物事をありのままに見るようになったということだ。そういう態度で生きるのが悟りの境地である。ただそれだけのことにすぎない。境地とはいうものの、超然とした場所に立つことではない。
だから、修行によって悟ることなく、また仏教をまったく知らずとも、悟りの境地で生きている人も当然いるわけである。その態度は、物心がつかない幼児と同じである。
悟りが仏教だけのものであるのならば、普遍的なものではない。普遍的でないならば、人間にとって真実ではない。
悟りはいつの日にか目指すべき遠い究極にあるものではなく、あくまでも出発点である。
そこから善の実現に向かって生きるのが本道である。だから、ゴータマ・シッダールタは善く生きること、人間倫理を重ねて説いたのだった。
Index 目次
まえがき〈悟りについての誤解と悟りの真実〉
迷いの苦しみ
偏った判断が自己を縛る
想像が欲望をふくらませる
欲から離れる
断定を捨てる
平等の眼
縁起
悟りへ
瞑想
慈愛へ
迷いの苦しみ
偏った判断が自己を縛る
想像が欲望をふくらませる
欲から離れる
断定を捨てる
平等の眼
縁起
悟りへ
瞑想
慈愛へ
※1 店舗ごとの消費税の端数の計算方法の違いによっては、お会計額に誤差が生じる場合があります。